洗濯物

一人暮らし歴十数年。

洗濯物干しは断然、室内派でした。

 

初めて住んだアパートは一階だったし、

一応女子だし、というかブラック企業で激務中で、

洗濯物を窓まで持って行って吊るす。

という行為がめんどくさかった。

 

洗濯機の周囲に設置する干竿を買って、

取り出したらそのままそこにひっかけていた。

 

次の家は4階だったけれど、ベランダに干竿がなかった。

でもやっぱり、洗濯物を外に干すことがしっくりこなくて、

お風呂場の干竿に干していました。

 

で、今。

 

今も、お風呂場に干竿があって、そこに干してるんだけど、

何だか、洗濯物が太陽にはためく光景が恋しい。

 

なんだか平和の象徴?ってベタか(笑)

そこには生活というか、営みがあるような気がするんだな。

人としてのサイクルっていうか。

 

たとえば、朝起きたらカーテンを開けるとか、

窓を拭くとか、植物に水をとか、お弁当とか、

そんなことに通ずる何かがある気がする。

 

それって全て、ずっとわたしが軽んじていた、

どうでもいい、ていうか所帯じみててかっこわる。

もしくは、いい子ぶって女子力アピール?けっ

とかって思うとはなしに思っていた些細な生活で、

でも今は何だかそこに幸せを感じてしまう。

 

この心境の変化ってやっぱり年齢でしょうか。

でも洗濯することが面倒なことから、

気分のいいことへと変わったからかもしれない。

 

今は毎日ざくざく汗をかくから、洗濯物がどっさり。

それを仕分けながら洗濯機に入れていくことも、

取り込みやすいように順番考えて干して、

乾いた洗濯物な手触りも、取り込んで畳むことも、

前はぜーんぶ面倒で仕方なかったのに、今は気分がいい!

 

てことで、今日もどっさり洗濯。

猫トイレも洗って、お風呂場も掃除して、汗がしたたって、

水シャワー浴びて、扇風機の前に寝転ぶ幸せ。

 

夏。毎年嫌で仕方ないのに。

今年の夏は、わたし、楽しいかもしれない。

 

ハローワーク②

職業講習会に行ってきました。

 

受付の五分前に到着したのだけれど、既にすごい人。

並んでる…感じもしないのだけれど、無言で立ち並ぶ、

40〜50人もいたかもしれない。

比較的、女性が多め、そして若め。ジャンルはバラバラ。

 

受付が始まると、静かにみなさん、進んでいきます。

相変わらず無言。

そして100人以上も入れそうな会場は満席に。

 

というか、こんなにたくさん失業者がいるのか!

というオドロキ。

だってたぶん、毎日開催されているものだろうし、

都内にハローワークは1つでないし。

 

そして、若いおねーさんによる再就職への説明は、

早期再就職のメリットと、求人数と求職数の比較、

応募する上での注意事項なんかでしたが、

ツッコミどころ満載で、眠たくなって、退屈でした。

 

わたしが性格悪いのかなぁ。

いやいや。他にもそう思った人はいるはず。

頷きながら聞いている人もいたけど、目が死んでる人も少なくなかった。

 

それでも発言の許されない、離席の許されない、

この自由のなさは、学校を思い出した。

 

学校も退屈だった。授業はつまらなかった。

だから、ぼーっとするクセがついて、気がつくと内容が難しくなって、結果的に勉強についていけなかったんだけど(笑)

ハローワークも学校も、国の機関であることを考えれば、傾向が似てくるのは当然のことなのか。

 

でも、書類選考だの、職務経歴書だの、面接だの、

新卒じゃあるまいし、そんな説明を必要としている人っているのかしら。

て、いるんだろうな、たぶん…

過去にトラブルがあったから、こういう形態なんだろうな。

 

終わった後は、職業訓練について説明を受けてみました。

職業訓練に応募する基準などを聞くと、求人ありきで、

応募用紙を渡すことができるとのこと。

 

期限まであまり時間もないようなので、また来る手間を考え、

サクッと求人検索して、もう一度話を聞きに行くと、

何やらダメ出しが始まり…

 

いやね、主旨がはっきりしてるんならいいんです。

でも、話を聞いてるうちに、で?と言いたくなり、

イラっとしたら、ぱちんとスイッチが入ってしまい、

はっと気付いたら、休日モードから仕事モードに切り替わっていた。

 

分かりました。

笑顔でおねーさんは答え、無事、応募用紙ゲット。

講習会の受付から3時間後のことでした。

 

とりあえず、世の中に失業者ていっぱいいるのよね。

街を歩いてても思うもの。平日の昼間になんでこんなに人が?って。

 

でも、仕事してませんて言うと、ひえーって驚かれる。

無職にも人権を与えよ!だ。

 

働き過ぎて心や体が壊れるくらいなら、

多少お金に困っても好きなことしてる方がよっぽど健全だって。

みんな気付いてるんだろーっ

 

水道の水が冷たくなってきました。

散歩をすればトンボが飛んでいるし、セミは大合唱。

夏のピークは終わったんだなぁと思います。

 

長野に行ったとき、水道水が冷たくて驚き、

東京に戻って、水道水のあったかさにまた驚いた。

 

塩浴の最後は冷水なので、毎日頭からシャワーを浴びるのだけれど、

長野では真水はとても浴びられず、

東京の水も、だんだん冷たくなってきた。

 

東京はまたも35度越えの日が続いていて、確かに日差しはバカみたいに強い。

テレビでは馬鹿の一つ覚えみたいに、熱中症にご注意を。だ。

 

こんな最中に炎天下で運動させられた子どもが熱中症で運ばれたりなんてニュースは本当に気の毒だし、

周囲の大人は何がどうなってんのかなぁなんて思ったりもするんだけど。

室内で熱中症を起こす大人は、水分とってんのかな?塩分は?と思ったりして。

 

わたしは、相変わらずエアコンをあまり使ってなくて、

でも窓は全開、扇風機は常に回ってるし、必ず手元に水分を置いている。

三食は食べないけど、朝昼晩のタイミングで塩分は取ってる。

 

もちろん高齢者は、それでも具合悪くなっちゃうのかもしれない。

というか、無理はしないほうがいいんだと思う。

だから、若い人の話。

 

最近の塩分摂取でお気に入りなのが、

永谷園のお茶漬けの素。

これをお湯割りにして、ご飯なしでスープとして飲む。

塩分取れるし、適度に汗もかけて、身体もあったまる。

 

汗かいて、扇風機の風を浴びると、汗が飛んで身体が冷える。

なんだかそれで充分な気がする。

 

テレビが推奨するエアコン使いましょう!キャンペーンは、

つまり電力が必要ですよね?からの、

原発をなくすわけにはいきませんよね?という、

政府の策略のような気がしてしまう。

 

もちろん、湿度が高いときなんかには、わたしもエアコンつけてしまうし、空気清浄機もあるし、テレビも見るし、パソコンも使うし、明かりもつけるし、電気は必要なんだけど…

 

エアコンがないと、自然の風を全力で感じる。

それはいいことだと思うんだよなぁ。

 

そうだ、忘れていた。

長野でお蕎麦やさんに入ったとき、そのお店にはエアコンがなかった。

通された和室には縁側があって、窓の向こうは日本庭園で、

お店のおばあちゃんはにこにこと、扇風機をつけてくれて、

明かりはどうする?暑い?と聞いてくれた。

 

日本の夏ってそういうことだと思う。

煌々と明かりをつけて、エアコンを効かせていたら、

風鈴は鳴らないもの。

 

自己嫌悪

職場でお説教を受けている夢を見た。

訳の分からん若い男の子(DAIGOによく似ていた)と意見が合わずに言い争いになってしまって、

上司にお説教される夢。

また人とうまくやれないのかと。

 

人とのコミュニケーションが得意ではない。

それは確か。

 

でも仕事から離れて思うのは、

仕事に対する正義感が何やらあって、そこに反することが起きたとき、どうにも意見を下げることができない。

というか、下げる理由が見つからない。

なぜ?どうして?と、思ってしまう。

 

忖度ができないってことよねぇ…と、そこで自己嫌悪。

 

仕事をしてたとき、毎日がつまらなくて、

つまらない毎日を送る自分に自己嫌悪していた。

 

今は、ヨガしたり、半身浴したり、塩浴したり、料理したり。

北向きの寝室は角部屋だから、窓から風がよく通る。

ベッドに寝転がると、風にはためくレースのカーテンの隙間から青い空が見えて、

リネンのシーツも心地よくて、そこで本を読むのが最近のお気に入り。

気付くと、汗をかきながら猫と川の字でうとうとしていて、

これこそが夏だなぁと、青空を見上げる。

 

そんな毎日を送っていると、こんなに好きなことばかりしていていいのか?と。

世の中の人は毎日働いてるのに、

同年代ならば、家庭を持ち、仕事を持ち、子どもを持つのが当たり前なのに、

非生産的(笑)な存在でいいのか?と。

 

なんだろー!この自虐感。ドMなのかしら。

 

自己嫌悪に陥るのは、自分に自信がないからとも言えるし、

向上心の表れとも言えるし、自己肯定感が低いせいかもしれない。

 

理由がなんであれ、今を楽しむことをついつい忘れがちになってしまうのはどうしてなんだろう。

 

働くと、これでとかと言わんばかりに叩き込まれるのは、自分の意見を殺すこと。

例えば、戦争に出かけた兵士は、自分のために人を殺すことはできないけれど、

国のため、大義のためだと思えば、敵を倒すことができるようになるという。

 

自分がそうしたいのではない。

クライアントの意向だから。

会社の決定だから。

利益を伸ばすためだから。

 

そう考えるように調教されて、

それでもそんな世界は嫌なんだと息も絶え絶えで逃げ出して、

じゃ、お前は何をやりたいんだと問われたところで、

ずーっと自分を殺してきたんだ。

今さら、自分が何やりたいかなんて知るはずもない!

そんなのあたしが聞きたいわ!

 

だったら逃げ出すべきじゃない、

社会に合わせろ、周りに合わせろ、空気に合わせろ、

お前ごときが自由など望むな。

 

夢にそう責められた気がした…

先週、クライアントに会ったからだろうか。

 

理性を持っていいますけれど。絶対に違う。

自分の中の小さな女の子が、また息を止めてしまう。

最近、ようやく少し笑ってくれるようになったのに。

あの子が笑えないようなところに、幸せなんかない。

 

この自己嫌悪は、過去の記憶。

天気がどうあれ、平日は朝から働くんだとか、

熱中症にならないためには、エアコンと水分なんだとか、

好きなことではなく、嫌でも金になることをするんだとか、

日本社会に擦り込まれた過去の記憶。

ヨガ

初めてヨガをしたのは小学生の頃だと思います。

熱を出して学校を休んでいたわたしは、母の通うヨガ教室に連れて行かれた。

ヨガした方が治る!とかなんとか母が言っていた気がするけれど、よく覚えていません。

 

大人になって、5〜6年ほど前にかなり真面目に通いました。

ジムに週5で通い、ヨガ2日、ピラティス1日、そしてパワーヨガ2日。

このパワーヨガにハマってしまい、みるみる痩せた。

お腹に線が入って感動したな〜今じゃ見る影もないけど(ll゚д゚ll)

 

旅先でヨガに触れる機会もあって、ハワイもよかったし、

スリランカでは波の音を聞きながらヨガをして、涙が止まらない。なんて経験もした。

インドで朝日を浴びながら、ガンジス川のほとりでしたのも気持ちよかった。

 

通っていたジムが潰れてしまってからはどうにも続かず、

他の先生についたり、ホットヨガにも通ったけど、いまいち物足りない。

そのうち、「通う」って行為が合わないんだわ。と全部やめてしまった。

 

その代わり2年くらい続いていたのが、綿本さんのDVDを見ながらの自主トレ。

毎日30分くらいだったけれど、これはよかった。

やっぱり太陽礼拝が一番筋肉が付く気がします。

 

がしかし、それも続かず早一年…このままじゃヤヴァイ(汗)

特に今は引きこもりみたいなもんなんだし。

 

てことで!再開を試みることに。

 

いきなり綿本DVDはキツイので、まずは自己流から。

ヨガマットを敷き、座禅で瞑想。

骨盤が硬い。腰の安定が分かりにくい。

 

続いて山のポーズ。身体がグラグラ揺れます。

なんと…

 

英雄のポーズだけで、筋肉の衰えを感じました。

三角のポーズは、腰が割れそうで断念。

太陽礼拝で腰が抜けそうになります。

 

気付けばシャバアサナで休もうとする自分…

 

ヨガと言うより半分以上ストレッチしてたけど、

なんとか1時間弱を乗り切った。

 

全盛期に比べたら見る影もないけど、続けよう。

継続こそ力だ!

 

力…あったっけ?(汗)

 

 

お金

マーク・ボイルの無銭経済宣言を読んでいます。

 

訳書の自己啓発本て、どうしてこう…言葉が難しいのか!

日本人がアホなのか?いや、アホは私か(笑)

どうにも読みにくくて手こずりつつ3日目。

 

無銭経済宣言とは、その言葉の通り、

お金をまったく使わずに生きていこう。というもの。

 

土地の入手から、家の建築、不耕起栽培

鶏の飼育、ミツバチの飼育、コンポストトイレ

ロケットストーブ、雨水使用、

石鹸使うな、洗剤使うな、靴は履くな、水洗トイレは愚の骨頂。

 

読んでると、できるわけないだろ、とあほらしくなる。

でも全てではないにしても、実践を試みている人がいることを考えると、

アホはわたしなのか?と自問自答してしまう(笑)

 

でも人間て、1人で生きているわけではないし、

家族とか友だちとか、維持していく関係があるもんね。

 

例えばその考えに傾倒したとして、それを家族に納得させる自信は、わたしには全くない。

移住についてさえ、理解が得られてないし、

辛うじて、いいんじゃないの。とお言葉をいただけたのは、冷えとりくらいのもんだ。

というか冷えとりだって、こんなにお風呂に入ってばかりいると知ったら、面倒な話になるのは必須。

一緒に暮らしてないからありなのよね。

 

というわけで、本に書かれたほとんどが実践するのは難しそうだけれど、でも確かに、

経済、科学崇拝が現代の宗教である。という考え方には納得。

その宗教が全ての歪みを生み出しているという点についても。

そしてまた、その宗教は学校教育によって埋め込まれていることも。

 

お金って、欲しがれば欲しがるほどキリがない。

あれば確かに便利だ。

必要なものは手に入るし、どこにでもいける。

誰かを喜ばせてあげることもカンタン。

 

でも感謝を忘れていく気がする。

人より多めに持つことで、優越感が生まれ、

多く持つ人を見る目には劣等感が生まれる。

人間関係は複雑さを孕む。

 

お金を稼ぐためにかかったストレスを解消すべく、

お金を使って憂さ晴らしをする。

健康を犠牲にしてお金を稼ぎ、

稼いだお金を治療費に使う。

 

本末転倒のバカバカしさ。でも誰も問題視しない。

お金を稼ぐのは明日のため。老後のため。

今日この日に使うお金はたかがしれている。

 

とりあえずそのスパイラルから逃げ出してみました。

わたしが、お金のために我慢するのは、

贅沢旅行と、飲み歩き、デパ地下グルメくらい。

 

でも猫を飼ってから、すっかり旅行はどうでもよくなってしまったし、

化学調味料なし生活を始めて一年、外食はおいしいと思わなくなってしまった。

なので、特に無理することもなし。

 

ずーっとこのままというわけにはいかない。

無銭生活はわたしには無理。

 

コンポストトイレどころか、ぼっとんも使ったことはほぼないし、

火を起こす技術もないし、虫は嫌いだし、力仕事も苦手。

 

お金は必要。

でもたくさん欲しがると幸せは逃げて行く。

 

 

 

 

 

 

体臭

塩浴を始めて3週間が経ちました。

 

塩浴を始めたばかりのブログはこちら。

塩浴 - いきたいようにいきる

 

続けていて感じるのは、肌がしっとりしていること。

そして、数日前から気になり出した、髪のベタつき!

 

お風呂ではまずお湯で髪を洗うんだけれど、

地肌までお湯が浸透するのに、明らかに時間がかかる。

そして、塩水を頭全体にかけてから髪をまとめて湯船に入り、

半身浴後、お湯で、続いて水で、髪を洗います。

 

このとき、髪がもったりと重たい。

まったく指が通らないので、ブラシで髪を梳きます。

その後、もう一度指を通すけれど、やっぱり入らない。

 

お風呂から出たら髪を乾かす。

ドライヤーを使ってはいけないから自然乾燥だけど、

これが時間がかかる!

 

乾いた髪はサラサラしているけれど、

汗をかくとまたもったり。重たくてベタついている。

匂いは今のところ自分ではよく分かりません。 

 

これ、今はいいけれど、勤めていたら無理だな。

汗をかくだけで髪がベタベタになるなんて、

日本人としてはありえへん世界ですよねぇ…

それに乾くまでこんなに時間がかかるなんて、

これでは外出できない!

 

そしてまた匂いが気になるのは、髪ではなく身体。

 

塩浴のせいなのか、半身浴のせいなのか、

寝汗をかくようになりました。

と言っても鎖骨まわりだけ。

 

おそらく首からの汗で、鎖骨周りのTシャツがぐっしょり濡れます。

毎年夏に来ていたロングTシャツがあったのだけれど、

それは鎖骨周りが大きく開いている。

とすると汗が残って気持ち悪い。

 

襟ぐりの詰まったTシャツは汗を吸ってくれるのでよし。

ただし、これが臭う。

 

汗臭い匂いとも違うような気がするけれど、

とにかく匂う。

 

鎖骨は触るとあったかい。

2〜3年前にホットヨガに通った時期があったけれど、

そのときの悩みは鎖骨が異常に冷たいことでした。

 

それに比べたら、あったかくなっている今はいい状態なんだと思う。

首からの汗というのは少し気になるけれど、

仰向けになって、枕に頭を乗せると、首の肉が寄る。

ここから汗が出ている気がする。

 

そしてまた、夏でも熱いスープを飲むのが好きなのですが、

エアコン付けずに熱いスープを飲むと、全身から汗が吹き出す。

これがまぁ匂う!

 

というわけで、塩浴による体臭が始まったようです…

自分的にはそんなに不快な匂いでもないし、

服は脱いだら洗濯、自分自身はお風呂に入っちゃえばいいんだけど、

この体臭。いつまで続くんだろう。

デトックスが抜ければ終わるのかしら。