お金
マーク・ボイルの無銭経済宣言を読んでいます。
訳書の自己啓発本て、どうしてこう…言葉が難しいのか!
日本人がアホなのか?いや、アホは私か(笑)
どうにも読みにくくて手こずりつつ3日目。
無銭経済宣言とは、その言葉の通り、
お金をまったく使わずに生きていこう。というもの。
土地の入手から、家の建築、不耕起栽培、
鶏の飼育、ミツバチの飼育、コンポストトイレ、
ロケットストーブ、雨水使用、
石鹸使うな、洗剤使うな、靴は履くな、水洗トイレは愚の骨頂。
読んでると、できるわけないだろ、とあほらしくなる。
でも全てではないにしても、実践を試みている人がいることを考えると、
アホはわたしなのか?と自問自答してしまう(笑)
でも人間て、1人で生きているわけではないし、
家族とか友だちとか、維持していく関係があるもんね。
例えばその考えに傾倒したとして、それを家族に納得させる自信は、わたしには全くない。
移住についてさえ、理解が得られてないし、
辛うじて、いいんじゃないの。とお言葉をいただけたのは、冷えとりくらいのもんだ。
というか冷えとりだって、こんなにお風呂に入ってばかりいると知ったら、面倒な話になるのは必須。
一緒に暮らしてないからありなのよね。
というわけで、本に書かれたほとんどが実践するのは難しそうだけれど、でも確かに、
経済、科学崇拝が現代の宗教である。という考え方には納得。
その宗教が全ての歪みを生み出しているという点についても。
そしてまた、その宗教は学校教育によって埋め込まれていることも。
お金って、欲しがれば欲しがるほどキリがない。
あれば確かに便利だ。
必要なものは手に入るし、どこにでもいける。
誰かを喜ばせてあげることもカンタン。
でも感謝を忘れていく気がする。
人より多めに持つことで、優越感が生まれ、
多く持つ人を見る目には劣等感が生まれる。
人間関係は複雑さを孕む。
お金を稼ぐためにかかったストレスを解消すべく、
お金を使って憂さ晴らしをする。
健康を犠牲にしてお金を稼ぎ、
稼いだお金を治療費に使う。
本末転倒のバカバカしさ。でも誰も問題視しない。
お金を稼ぐのは明日のため。老後のため。
今日この日に使うお金はたかがしれている。
とりあえずそのスパイラルから逃げ出してみました。
わたしが、お金のために我慢するのは、
贅沢旅行と、飲み歩き、デパ地下グルメくらい。
でも猫を飼ってから、すっかり旅行はどうでもよくなってしまったし、
化学調味料なし生活を始めて一年、外食はおいしいと思わなくなってしまった。
なので、特に無理することもなし。
ずーっとこのままというわけにはいかない。
無銭生活はわたしには無理。
コンポストトイレどころか、ぼっとんも使ったことはほぼないし、
火を起こす技術もないし、虫は嫌いだし、力仕事も苦手。
お金は必要。
でもたくさん欲しがると幸せは逃げて行く。