わたしが犬を飼ったワケ

母は病がちな人でした。

病院通いが趣味みたいに、病院には詳しかった。

乳癌も子宮癌も乗り越えて、10年前に髄膜腫の癌になった。

その珍しい癌は、病院も医者も方針も限られ、

それでも諦めることなく闘い抜いた。

 

一年前の夏、突然起き上がれなくなって、

そこから私たち家族の介護が始まった。

コロナ禍に病院に母をひとりぼっちにすることを選ばず、

慣れない手つきで食事を食べさせ、おむつを替えた。

 

その決断は、もしかすると母の死期を数ヶ月早めたかもしれない。

素人の食事介助が誤嚥を招かなかったはずはない。

そうは思っても、家族に囲まれて最期を送った母を、

わたしは幸せだったように思う。

 

わたしと母は友だちみたいな親子で、旅行も何度も一緒に行き、

母が飛行機に乗れなくなってからは、

月に一度は食事をして、色んな話をした。

 

わたしは嬉しいことも悲しいことも、ほとんど何でも話していたように思う。

仕事のことも、友達のことも、趣味のことも、とにかくわーっとぶちまけて、

母はどこまで理解しているのか、うんうんと聞いていた。

母は母で、病気のことや父のこと、ジムや好きなものの話を止めどなくしていて、

わたしも半分くらい聞き流しつつ、時折自分の考えを述べた。

 

突然寝たきりになってからは、ろくに話もできないまま、

何も伝えることもできず、聞くこともなく、

母は逝ってしまった。10月の妙に暑い日に。

 

お葬式や、近親者への連絡、お墓をどうするか、

残された父のこと。初めての年末年始。

悲しみながらもバタバタと時間は過ぎて、ひと段落した頃、

猫が亡くなった。

 

まだ4歳だった。死因は心筋症。

風邪ひとつ引いたことなかったのに、発症して36時間でいってしまった。

動脈血栓だった。

 

可哀想になるくらい闘病した母と違って、

小さな猫は何が起きていたのか最初は分からなかったろう。

発症する2時間前、いつも通りわたしのトイレについてきて、トイレの前で出待ちして、

一緒にベッドに潜り込んだ。

 

母がいないのは悲しいけれど、

このまま猫たちと生きていくんだと何の疑いもなく思っていた。

幸せかどうかなんて考えたこともなく、

それがわたしの当たり前の日常なのだと。

 

仕事をしていれば膝の上、お風呂なら蓋の上、

料理をしてればカウンターの上、寝る時は一緒のベッド、

ごはんを食べてれば一口欲しがる、

いつも手を伸ばせば触れられる距離にいた、

小さな子がこの世を去った。

 

毎日泣いて泣いて泣いて。昼も夜も泣いて。

遺体をこのままにしても人間じゃないから犯罪じゃないよねとぼんやりと考えた。

 

もちろん自分の中の常識がそれを許さず、荼毘に伏した。

でも、あの子が病気になったのは、助けてあげられなかったのは、最期に苦しませてしまったのは、

全部あたしが悪いんだと自分を責めて、そして思った。

この先の人生にどんな喜びがあるんだろう。

わたし、何が楽しくて生きてるんだ…