介護の日々
8月中旬に母が起き上がれなくなり、突然介護の日々が始まった。
母が病を患ったのは10年前で、少しずつ身体の色んなところに不備が出て、
家族は寄り添ったり、そうでもなかったり。
母はかまってちゃんであり、体調不良を訴えがちな人だから、
私はあれこれ世話をする時もあれば、そうでもなかったり。
お母さん、自分で自分のことできなくなったら、おばあちゃんみたいに施設に入るのよ。
それが嫌だったら、自分のことは自分でしなさい。
そう言いながら、外食をしたり、旅行をしたり、
うちに遊びに来たり、年末年始を過ごしたり、
ケンカしたり、愚痴を話したり聞いたり、
コロナ禍では公園を散歩していろんな話をした。
今、両親はウチから歩いてすぐのマンションに住み、
私は毎日朝そこへ向かう。
おはよう〜と声をかけながらカーテンを開けて、
お母さん、おはようと顔を覗き込む。
母は何時?と聞いたり、あまり寝てないのと言ったり、私の名前を読んだり。
でも何も答えない日が少しずつ増えている。
起きて〜トイレ行こう?喉乾いた?
と、私は母を抱えおこす。
行くとか行かないとか。もにゃもにゃと答える。
トイレに行って、うがいをして、キッチンの椅子に座る。
これだけでも結構な時間がかかるのだけれど、それすらもできない日が増えている。
1ヶ月前は一緒にストレッチして、母が作った手料理をいらないとすげなく断って、私はそそくさと母を置いて帰った。
2ヶ月前は一緒に病院に行って欲しいと言うのを、お父さんがいるでしょ?と断り、
3ヶ月前は一緒にマンションを内見に行って、母はバスでウチまで来て、猫と遊んでいた。
日々少しずつだけれど確実に、死は近付いている。
もうちゃんとした会話を母と交わすことはできないんだろうか?
何だか信じられない。
先月引き払ったマンションは、祖父母が上京した50年前から住んでいたところで、
闘病期間、母はずっとそこで暮らしていた。
いろんな事情で出ることになったけれど、引越しに立ち会わなかった私は、
何だかあの部屋がまだ残っているような気がしてならない。
祖父母の仏壇のある、一度もリフォームしてない床の傾いた、
でも小綺麗に掃除された部屋で、使い込まれた家具に囲まれて、
あの部屋で母が暮らしているような、私を待っているような、
今私が毎日会っているのは身体だけで、
母の心はあそこで静かに生活しているような、
そんな気がしてならない。