人助け
最近、振り込み詐欺を止めたコンビニ店員さんとか、
認知症の老人を助けた高校生とか、
そんな記事を目にする。
そしてまた、海老蔵が人助けをしたとかブログして、
周囲が素通りしてたなんて記事を読んで思ったこと。
早朝に散歩していて、パジャマにスリッパで歩いてるおばあさんを見たことがある。
そして、先日は、身体が傾いて倒れそうな感じの人を見た。
どちらも声をかけなかった。
おばあさんは、交番の前で会ったということもあったし、
傾いている人を見かけた時は急いでいた。
水曜日のダウンタウンで、クロちゃんがお化け屋敷で助けてもらえなくて怒ってるのを見た時も思ったけど、
大丈夫かな?と思う以上に、いろんなこと考えちゃうのだ。
なんて声をかけるか、その時の反応パターン、
声をかけた後どうするか、この後の自分の予定。
そして危険はないのか。
大丈夫かな?と思うのは人情だと思うけど、
人情に従って行動できるのは、心の余裕がある証拠なんだと思う。
心の余裕と、時間の余裕。
先日、仕事の愚痴を話していた時に、
生活の糧なのだと割り切って働く人は多いという話になった。
とりあえずその時は同意したけれど、
興味の持てないことを、生活の糧と割り切ったり、
嫌な思いをした時に、鈍感力を発揮したり、
そういう行動は、自分の感性を鈍化させると思う。
そしてまた忙しい日々を送っていると、
忙しい=心を亡くすだもんね、感じたり考えたりする時間はなくなっていく。
思うことを口に出しても肯定してくれる誰かがそばにいなければ、
だんだん思いを口に出すことはなくなり、
少しずつ思うことも減っていくのだと思う。
鈍化した感性を持って、心を亡くしてしまい、何も思わない毎日を送っていると、
人を心配する余裕はない。
だって自分を心配できないのだから。
かつてのわたしもそうだった気がする。
今は時間の余裕も昔に比べればあるし、
思いやりの気持ちも、以前よりは持てる気がする。
でもそれはラッキーだったところが大きくて、
やっとたどり着いた穏やかな生活を送れているからだけれど、
ここまでの道のりは長かったなと思うし。
犠牲にしたものも少なくはなかったなと…
すれ違った見知らぬ犬や赤ちゃん、野良の猫さんをかわいいと思うかどうかは、
困っている人を助けるかどうかと、心の動きは似ている。
心の余裕は持っていたいけど、今の日本では贅沢な産物のような。
もしかしたら日本だけじゃないのかもしれないけど。