ゴハン論法
最近、政治ニュースをチェックしていると目にする「ご飯論法」
朝ごはんは食べましたか?と聞かれて、
ご飯は食べていません(パンは食べました)
と、答えるものなんだそうな。
私はこれが本当に苦手。
ゴハン論法という言葉は知らなかったけれど、職場でこの論法使う人は非常に多く、
また役職付いてる人に限ってやりがちなんだよね。
なんでこの人はまっすぐ答えないんだろ!
と、よく一人でプリプリしていた。
コロナ渦でリモートワークになって、仕事の合間に国会中継を見るようになりました。
当初は、コロナに関する情報を知りたくて、
民放より確実だろ。ぐらいに思って見始めて、唖然とした。
なにこれ。まっすぐどころの騒ぎではない。
なにひとつ答えないし、答えないのに会は進行していく。
こんなの会議でもなんでもないじゃん。
なんの時間?
そもそもひしめき合って座ってることにも驚いたし、
紙ベースの書類にも驚いたし。
誰一人PC持ってないように見えるんですけど、まさか禁止なの?
そもそも内閣側にはデスクがない!なんでじゃ。資料見るんでしょ?
紙ベースで作った、会議場の広さから考えると明らかに小さい資料を手に持って見せながら説明しているのには笑ってしまった。
プロジェクターないの?国の最高機関ですか、これが。
質問は事前に申請するというのも後で知りました。
事前に申請した質問に、用意した回答(答えになってない詭弁のオンパレード)を読み上げるだけなら、国会は何のために必要なんだろう?
ネット上にアップするだけでいいじゃん。
てか、オンラインでよくありません?これ。
そもそも回答を、官僚だか秘書だか第三者が用意しているのであれば、大臣て何のために必要なんだ。ただの三文役者の群れではないか。
これが国会中継を初めて見たときの素朴な感想でした。
重厚感溢れる椅子にふんぞりかえって座って、それだけでも感じ悪!おまけに、ほかの誰かが書いた文章を読み上げるだけが仕事なのか。
ずいぶん楽なんだな、国会議員て。
あんな回答が許されるなんて、ずいぶんヌルイんだな、国会って。
そう思った。
で、見ていると、野党の意見は、まともなものが多いことにも気付く。
まともであるけれど、ラフ案的なものが多いとも思う。
これは議題提出であって、ディスカッションが必要だなと。
それに対する答弁は、長く、意味が分かりにくく、論点をずらしているものが多く、ディスカッションどころではない。
生理的に好きくないんだな!ゴハン論法。
ていうか、時は金なり、要点を簡潔に分かりやすく。
ってのがビジネスの基本である気がするのに、
この人たちにその感覚はないのか。
その時点で、国民の感覚によりそう、なんてできるはずもない。
今の政府への反発は、こう言った感情を基にしているような気がします。
政策ひとつ1つの問題点ももちろんあるけれど、
誠意のなさが明確に伝わった。
忖度の国ニッポンでは、目に見えない誠意にみんな敏感なのだと思う。不安に苛まれる今は特に。
ご飯論法する人は、期待に応えずにマウントを取りたがる人が多い気がする。
マウントを気にしていると、関係性はギスギスしてくるし、まとまる話もまとまらなくなることも多い。
そこを飲み込んで大らかに対処することが、話を前に進める上で必然なのではないかと、
国も社会も変わらねば、他国に付いていけんよと、そんなことが気になり出した今日この頃。