ひとりでいたい

一人暮らし歴は15年ほど。

実家に帰ると、3日でちょっとため息。

1人になりたいなぁと。

 

仕事中は雑談がめんどくさい。

早く終わらせたいので、無駄話はできるだけしたくない。

もくもくと仕事をして、話しかけられればめんどくさそうな顔をしていたと思う。

 

ランチも、女子たちとつるむと、いわゆる女子トークがめんどくさいし、気を使わなきゃならない。

メンズに同行すると、ガッツリ系を食べて胃がもたれる。ゆっくり食べられないし。

だからひとりがラク

と、ひとりでお弁当を食べていた。

 

お酒は好きで、よく友だちと飲みにも行ったけれど、

頻繁に行くと話題が限られるようになって、

これまためんどくさくなってしまう。

 

だからひとりが好きなんだろうなぁと思っていました。

きっとずーっとひとり暮らし。

でも寂しいとか思わずに生きていくんであろうと。

 

ただ、ねこを飼い始めて少し変わりました。

言葉を持たない彼らとのコミュニケーションは、煩わしさがない。

彼らの欲求はシンプルで、分かりやすく、至極当然。

そして言葉がないので、こちらも察するべく、空気を同化させるクセがつく。

 

察するクセはつくけれど、やっぱり会話することはできないから、そこがよかったのかもしれない。

話さなくて済む。感じるだけ。

理屈を述べる必要も、述べられる必要もない。

 

でも今回の旅は、日替わりで毎日同行者がいて、

とにかくまぁ色んなお話をした。

最初はその土地の特色の話なんかしてるんだけれど、

そんな話は通り一遍。

そのうち、それぞれのプライベートな話になる。

 

以前に婚活をしたことがあったんどけれど、

そのときもわたしは、結婚の話より相手の話を聞いてばかりいたような気がする。

自分のことは、あまり、言わない。

だから成婚することはなかったわけだけれど。

 

ずっと、ひとりが好きなんだと思っていた。

 

でも今回、誰かと話をしたり、一緒に食事をしたり、

なんだかそういう普通のことが楽しかった。

それぞれのひとたちの個性というか、長所もたくさん見えた。

ごくごく普通に笑えて、余計なことをあまり考えなかった。

 

だから気がついた。

これまでわたしは、相手の短所ばかり見ていた気がする。

常に上から目線でナナメに見て、揚げ足をとっていたような、

誰も彼もだめな人に見えて、だから話をするのが煩わしかった。

 

ひとりでいたかったのは、誰も好きになれなかったから。

 

安定していて、コントロールが効いて、ある程度の収入のある職をわたしは手放した。

あそこでの仕事は、かつて好きだった仕事の成れの果て。

学べることは何もなく、学べる人もおらず、

誰のことも、できない使えない奴だと思っていた。

わたしは退屈仕切って、退屈な人間に成り果てていた。

 

ひとりになって、自分と対話する時間というのは大切な時間。

 

だけど、誰かのために何かをする時間も大切。

 

それが完全に欠落していたんだ、わたしの人生から。