森の中で感じたこと

トレガーで言われた「自分を否定しないであげて」

これはずぶずぶとわたしにささった。

 

そう、わたしには否定グセがある。

自分のことも。他人のことも。

 

例えば今の職場は、これまで世の中になかったサービスを生み出そうとしているところだけれど、

まだ発展途上なために、とにかく勉強会が多い。

 

のみならず勉強熱心な人が多い。

高学歴な若者が多いせいかもしれない。

土日や平日の夜も勉強するか、ジョギングしてるかするらしい。

ちなみにフルマラソン参加率もめちゃくちゃ高い。

 

そんな中、わたしの趣味は家でゴロゴロすること。

本読んで、録画したテレビ見て、猫と遊ぶこと。

仕事はこなすけれど、勤務時間が長いのはイヤ。

図書館通いが趣味だけれど、借りるのは主にエッセイ本。

仕事絡みの本なんて滅多に読まない。

 

有休消化率は100パーセント。

仕事が忙しくなければ予定がなくても休んじゃう。

こんなあたしってダメなやつ?だよね〜…

 

そうなのだろうか。

 

ヨガでは人のポーズと自分のポーズを比べる必要はありませんと言われるけれど、

わたしの生き方と、周囲の生き方を比べる必要なんてないんじゃないだろうか。

 

お酒を飲むとき、お菓子を食べるとき、何かに腹を立てたとき、

わたしはいつも自分を責める。責めながら言い訳をする。

それはストレスになって降り積もる。

 

降り積もったストレスに対して、また言い訳をする。

わたしだってがんばっているんだと耳塞ぐ。

心を閉じて閉じこもった殻の中で、自分の声さえ聞こえなくなる。

何を感じているか、何を必要としているか、

それさえも見えなくなってしまうほどに。

 

森はやわらかく何かを語りかけているように思えた。

家のねこたちが、言葉を使わずにわたしに話しかけるように。

わたしを求めて慈しむねこたちと同じように、

緑たちも何かを囁いているようだった。

 

食事を摂らず、メディアにも触れず、本も読まず、

声なき声に耳を傾けて、自分をみつめて感じたのは、

自分への愛。

 

誰しも自分が大事だと思うけれど、

自分をきちんと大切にすることは難しい。

 

例えば、毎日お弁当を作っている話をしたら、

それは自分への愛だねと言われた。

そうかもしれない。考えたこともなかったけれど。

 

ここには住み込みで働く人たちがたくさんいて、

みんな一様にクリアな顔をしている。

余計なもののない、素材そのままのここのお料理のように。

 

わたしはここに住み込むような生活はできないけど、

一大決心をして前の会社を辞めて、でも今の社長に声をかけてもらって同じ業界に舞い戻ったこの環境は、これでよかったんだっけ。

やっぱり何だか、楽しい仕事、やりたい仕事、

自由な発想が許される等身大の仕事をやりたいなぁと、ぼんやり考えた。

 

だけど一方で、安くはないここの宿泊料を払ってこんな想いができるのは、

東京の企業で、マニュアルがんじがらめに耐えながらお給料をもらってるからなんだよね。

とも思う。

 

たぶん頭で考え過ぎなのよね。

もっと感じること。それが必要なこと。