コミュニケーション能力

あまり人付き合いが得意ではありません。

 

まず、好き嫌いが激しい。

そして苦手なタイプも多い。

 

表面的な人当たりの良さは持ち合わせているけれど、

そこから親しくなることが少ないし、

親しくなったときの踏み込み方がまたよく分からない。

 

気遣いはできる方だと思うのだけれど、

甘え下手というか、懐への飛び込み方が下手なのだと思う。

じゃ、面倒見がいいのかといえば、ベタベタした関係は苦手。

 

加えて、ひとつクセがあって、

「ここまではやらねばならない」

というラインが、何事に対してもある。

 

仕事はもちろんなのだけれど、

人間関係においても、友人同士であれ上下関係ならなおさら、

「ここまではやらねばならない」センサーが働き、

気を使ったり、話を合わせたりします。

 

たぶんそのセンサーは、概ね一般的日本常識の現代風都会風アレンジメント。

年配の方々のそれより略式ではあるものの、幾分スマートでスタイリッシュ。

もともと人間関係に不器用なわたしがなぜそんなものを身につけたかと言えば、

それは今の環境に身を置くことになったから。

 

甘えかもしれないけれど、わたしなりに精一杯がんばったのですね、この14年。

確かに失敗もたくさんあって、うまくいかないこともあって、

切れてしまった人間関係もいくつもある。

 

そんなことではいけない、もっとあれもこれもできるようにならなければならない。

そんな風に自分を叱咤激励して、ハードルをひとつ乗り越えるたびに、

周りに対する目も厳しくなっていったように思います。

 

自分を責めれば責めるほど、他人に厳しくなる。

 

ひとに優しくできるのは、自己肯定感の強い人間。

という言葉をどこかで聞きました。

 

わたしは、周囲がひとこと言いたくなるタイプらしく、

お説教というか、諭されることがままあって、

自分に自信がないこともあり、されるがままに自分を責めて、

疲れ果てて逆ギレする。ということが多かった。

 

年齢が上がって、後輩が増えていくとともに、注意したり、諭したりする機会が増えて、

それはたぶんかつての自分が体験したことの繰り返しにプラスして、当時の怒りを込めたものだったのかもしれない。

 

自分の間違いや欠点を反省して、それを直そうとすること。それは落ち込みをひどくするだけで、なんの効果もありません。

とは冷えとりの進藤先生の言葉だそうです。

 

ありのままの自分を受け入れてください。

とは、ヨガやホ・オポノポノで言われることば。

 

そう。

人付き合いが苦手です。

儀礼的な気遣いはあっても、誰かのために何かをすることは少ない。

それはたぶん、他人のコピーをしているから。

 

お人好しって間抜けなイメージがして、そうはなりたくないと思う自分がいる。

トクしていたい。効率よくありたいというずるい自分が、

いいところも悪いところも、人のコピーをするクセをつけさせた。

 

これが自分の精一杯で、だけれどそれが今の環境水準に合わないのなら、

自分が壊れる前に環境を変えよう。

そう思ったのが今回の行動につながっていたのだと、やっと気付きました。

 

どこにいっても同じだよと言われるかもしれない。

 

というか、みんな、本当にいろんなことを言います。

それも良かれと思って。

愛情から、好意から、わたしのためを思って。

 

でも、どんなにわたしに愛情を持ってくれていても、

その人はわたしではありません。

だから感じ方も考え方も違う。

 

 自分だったらこうする。

という考えは根本から間違っているのかもしれません。

 

友人は人生を楽しむための大切な存在ではあるけれど、

指針ではない。

 

それを忘れないようにしようと思います。