おごり

驕り …得意になって高ぶること。

傲り …慢心

奢り …ぜいたく

 

この3つの単語が同じ音なのは、何か意味があるのでしょうか。

 

退職に際して、色んな方々に会う日々ですが、

古くから付き合いのある人にお説教されました。

 

最初は、むかーっとなって、

ていうか言い訳させろやと思ったり、心乱れたりして、

それから泣きたい気持ちになって。

 

それはやっぱり、ちょっと端的ではあるけれど、真理を突いていると思ったからなのかと思います。

 

真理。

自己中心的で、人への優しさに欠けるということ。

 

もちろんそれだけではないけれど、その傾向がある。

そして一度感情的になってしまうと、視野がとても狭くなってしまう。

そうなったときは、思いやり精神なんて世界の果てまで消し飛ぶ。

 

感情的になることは多々あって、

他人に全てを分かってもらおうとするから、腹が立つこともあるし、

いつも他人に期待してるから、腹が立つこともある。

つまるところ、誰かに何かをしてもらって当たり前という慢心があるからなのだよな、

という結論にたどり着きました。

 

ご馳走になることも多い今の環境で、

わたしは得意になって、慢心して、

感謝も謙虚も慎みも忘れていたのかもしれない。

見事に3つのおごりが揃ってしまっていた。

 

それとは別に、今日はひとつありがたいお話がありました。

それはとても意外で、だから驚いてしまったのだけれど、

感謝というより、ラッキーぐらいにしか思ってなかった自分に気がついた。

 

おごらずに生きて行くことは難しい。

でも日々感謝することは必要な行為。

それがひいては自分自身を幸せにする。

 

昨日は送別会でした。

 

意外なほどにとても楽しかった。

みんなが沢山写真を撮っていてくれたようで、

数え切れないスナップ写真に写るわたしは、どれもものすごく楽しそうに笑っていた。

 

こんな風に笑うのね、という気持ちと、

決断したからこそ笑えているのだろうと、

ほこほこと幸せな気持ちに包まれて、奇跡の連続だなと思う。

 

40を超えて、身ひとつで世の中に放り出されるというのに、

まるで不安を感じていない今の自分は、ある意味奇跡なんだと思います。

 

この先に何が待ち受けているのかは分からないけれど、

後悔もなく、苦言を受け入れることができた自分に感謝して、

またひとつ前へ。