自己責任論

現在、話題の自己責任論。

ごく最近まで、わたしもそれが、真っ当な大人の考え方なんだと思っていました。

でも、自己責任論とは小泉内閣が植え付けた政府による国民意識の操作なんだということを、最近ようやく知って、ものを思うようになった。

 

〈自己責任論は、「社会的責任」と「個人的責任」とを意図的に混同し、支配層にとっての不都合なことすべてを個人の「自己責任」に解消することで、社会的・公共的責任を放棄し、あるいは隠蔽しようとするもの〉

 

北海道大学名誉教授である吉崎祥司氏の『「自己責任論」をのりこえる 連帯と「社会的責任」の哲学』(学習の友社)からの引用だそうです。

 

今話題の自己責任に話を戻せば、

自己責任を主張する人は、海外に行ったことがないか、

それとも添乗員付きツアーのような、誰か他に責任を押し付ける相手のある旅しかしたことのない人なんだと思う。

 

外国では、日本の常識なんて通用しない。

そんなところで全て自己責任なんて無理だ。

静かに街を歩いているだけでどんなトラブルに巻き込まれるか分からない。

 

その時に我が身を守る術としてパスポートがあるし、

「日本人」という肩書きは少なからず私たちを守ってくれる。

それはもちろん、有事の際は「日本」という大国が動くんだと、

誰もがそう思っているからこそだ。

 

国は国民を守る責任がある。

だから、安くはない税金その他諸々を毎月支払ってるんじゃないの?社会保障として。

それを無駄遣いと言われる理由が分からない。

それが無駄なら、何に使う税金は無駄じゃないんだ。

必要のない道路工事?誰も使わない公共施設?

 

危ない国に行かなければいい、という論調もある。

 

でも話題の方は仕事で行ったんだ。

その依頼者には責任はないのだろうか。

そしてまたその国への渡航を政府は禁止していない。

その判断に責任はないのだろうか。

 

少なくともその人は法を犯してはいない。

もちろん危険は想定していただろうし、落ち度がなかったとは思わないけれど、

落ち度なく生きている人なんてこの世にはいないし、

何年も拘束されて充分に罰は受けていると思う。

 

というかそもそも拉致した集団が悪いに決まってる。

加害者ではなく被害者を責める日本だよなぁ。

オウム以来、宗教をとにかく否定する日本では、

宗教団体には言葉が通じないと思っているからかもしれないし、

テロ組織というものが対岸の火事だと思っているからかもしれない。

 

自己責任なんて感情論だと思う。

良識を持ってきちんと考えれば、自分が責任を取る範囲も、そこに限界があることもちゃんと分かるのに、

思考放棄して、マイノリティを潰そうとしているように、私には思える。

 

マイノリティのいない世界なんてつまんないよ!

そしてまた、世界の情勢を知らずにグローバル社会なんてあり得ないし、情報は力だし、

そういったことに力を入れるべきはむしろ国のはずなのに、

情報収集を民間の、それも個人に押し付けて、

有事の際に責任を取らないなんて、何のための国なんだろう。

 

昔、国家を日本人はお上と言った。

上ってのは責任を取るためにいる。

じゃなきゃ、なんのためにいるのさ。

単語帳

アプリで単語帳を作りました!

 

どうにも単語が覚えられなくて、

昔、単語帳というものがあったな…と、検索したら出てきた。

Excelからインストールできる機能付き。

便利な時代になったもんだ。

 

ついでに言えば、学生時代に勉強していた頃、

意味の分からない教科書なんかは、ノートに要点を書き写しているうちに、意味が分かるようになったもんですが、

今回はPCに打ち込んで行ったら、だんだん理解できるようになっていった(笑)

 

環境も変わってるけど、自分自身も変化してるんだわー!

 

打ち込んだ単語集をそのままアプリにインストールして、

通勤時間に眺める。

なんと受験生のようだ(笑)

 

でも勉強することは楽しい。

春に自動車免許を取るべく教習所に通ったときもそう思った。

新しい知識を吸収することは楽しいし、

意外に年齢は関係ない気がする。

 

もちろん記憶力は低下しているのかもしれないけど、

暗記することが全てじゃないしね。

暗記ありきの受験制度に染まった学校教育に問題があっただけだ。

 

本を読むこともおんなじで、

どちらかと言えば、小説より事実に即した話が好きです。

 

ブログもそうだけれど、事実というか現実に今は興味がある。

好きな小説や漫画ももちろんあるんだけど、

これからどう生きるべきか、そんなことばかり考えていると、

現実がやっぱり重要に思えてくるんだな。

 

事実は小説より奇なり。と言うしね。

自尊感情

自分には価値があり尊敬されるべき人間であると思える感情のこと。自己概念に対する自己評価の感情であり、自尊感情の高低は「達成度÷本人の願望」という式によって決まってくるという。

学習行動においては、自尊感情が高い人は困難に出会っても粘り強く努力するが、自尊感情が低い人はすぐきあきらめてしまうという傾向がある。

また対人関係においては、自尊感情が高い人は、他人からの賞賛や批判にそれほど左右されず感情が安定しているが、

自尊感情が低い人は、ほめられるとその相手が良い人に思え、けなされると悪い人に思えるようなところがあり、感情的にも不安定な傾向がある、とされる。

 

久しぶりに逃げ恥を見ていて、「自尊感情」て言葉にぶつかりました。

 

自尊感情

わたしは低いかも…

 

いや。ある意味とてつもなく高いかもしれない。

普通の人とは何かが違うということに自信はあって、

そしてまた普通の人に別になりたくない、

ということも確かだったりします。

 

普通の定義も曖昧だから、ある意味すごく普通なのかもしれないけど、どうにも自分ではその辺はよく分からない。

とりあえず、「やや普通ではない」的なところか。

 

たぶん、わたし的に自尊感情が高まるのはハードルを飛び越えた時で、アドレナリンが出まくってる時で、

単調で平穏な毎日というやつだと、低下していくのかもしれない。

 

でもアドレナリン出まくってる時というのは、

後々どーんと反動が来るもので、それもいかがなものか?と。

 

仕事に例えて言えば、

忙しい会社に入社し、周りは忙しい人ばかり。

そんな中、諸事情によりお勉強の毎日。

打ち合わせや実務がある日はまだしも、朝から帰りまでずーっとお勉強のみだと、モチベーションはどんどん落ちていく…

 

がしかし!

入社早々、周りと同じように忙しい日々だったらどうか。

残業代も出ないのに残業して、生活が乱れて、

何この生活?お金の問題じゃない!

と、憤っていたことだろう。

 

ましてやこの環境は不可抗力だから、自尊感情云々とは全くもって関係なし。

 

なんだけれどなぁ〜。

 

テンションが上がらない!

ん?自尊感情とは関係ない話かしらん?

 

1つだけ言えることは、

自尊感情が低い人はすぐに諦めてしまうそうで、

わたしは中途半端に投げ出すのは嫌だということ。

SNS

FacebookInstagramTwitter、ブログ…

SNSをやっている人は珍しくないと思うけど、

身内に公開している人ってどのくらいいるのかしら。

 

わたしは、Instagramを身内に教えてしまいました。

 

なぜかと言えば、猫の写真が載っているから。

母や、甥姪が猫を見たがったのですね。

 

別にそれはよし。

猫の写真も、お弁当の写真も、特に問題はない。

ただ、たま〜によっぱらってグチを載っけてしまう。

最近も載せたら、翌朝には母からご意見メールが届いた。

 

それ見てたら、なんだか思い出した。

 

中学のとき、学校でうまくやれなくて、

毎日行くことが苦痛で、嫌で嫌で仕方がなかった。

朝、重たい気持ちを抱えて玄関を出ようとすると、

母が見送りに来る。にっこり笑顔で、がんばってね、と。

 

それがまた嫌で仕方がなかった。

自分の気持ちと母の笑顔の温度差。

何も知らないくせに。という嫌悪感と、

はたまた「がんば」れているのか?わたしは…

という自己嫌悪。

 

母にしてみれば、なんとなく気持ちを察して、

励ましたかったんだろう。

重たい空気を笑顔で塗り替えたかったんだろう。

 

全くもって申し訳ないけれど、わたしからすると無神経以外の何者でもない。

 

なんだかふとその時の気持ちを思い出して、

あらやだ中学から成長してないってこと?と、

ちょっと笑ってしまった。

 

まぁそんなことに限らず、SNSには身内に知られたくない情報も載ることありますよな。

別アカ作ろうかしら。めんどくさいな。

 

Facebookなんてその最たるもので、本名も写真も出ているし、

フォロワーは、学生時代の友人、現在の友人、仕事関係者。

なーんにも書けません(笑)

 

表も裏もあるSNS

今さらこれなしの生活は想像できないけれど。

 

めんげん

扁桃腺が腫れました。

 

もともと扁桃腺持ちで、

それに会社では異様に風邪が流行っていて、

だから風邪と考えるのが通常ではあるんだけど、

 

咳やくしゃみなど、風邪らしき症状があまりないこと、

扁桃腺の左がわだけ異様に腫れて、右は普通。

こんなに扁桃腺が腫れてるのに熱はあまり高くない。

 

熱は高くないけど、扁桃腺の痛みは凄まじい。

口を動かすだけで痛いし、耳も痛い。

後鼻漏も相まって、喉の違和感がハンパない。

 

こりゃ、めんげんだな…

そう結論に達した。

 

思えばな〜就職が決まって以来、食生活が乱れまくったのだ。

また働くのか!と思ったら、自炊率が減った。

 

お金の心配しなくていいから節約しなくていいし、

色々気にかけていたことが、急に面倒になった。

そんなことよりも気にすることが…!的な心境だったのかも。

 

働き出して、感じていた小さなストレス。

だってほぼ放置だし…話しかけてくれる人もいない。

そしてまた、そんなこといい大人が気にするなんて、

と思われることがまた怖くて、平気な顔してることにものすごく疲れる。

 

基本的に、職場で群れを作るのは好きではないし、

仕事中のおしゃべりもあまり好きではないから、

職場に友だちがいないとやってけなーい、てわけじゃないんだけどさ。

勝手知らぬ場所、仕事の把握もままならぬ中ではなかなか辛いよ。

 

そんなわけで、夕飯がめちゃくちゃになりました。

ポテチ食べたりしてた。

そしてまたランチの外食率が増えました。

 

たぶん、食事の半分くらいが、お惣菜、お菓子、外食になったのですね、

もしかしたらそれ以上かもしれない。

 

冷えとり始めて10ヶ月、だいぶ素直になっていた体は、

素直に毒だしさせたと、そういうことなんだろうなぁ。

食べ過ぎ→鼻詰まり→後鼻漏→扁桃腺。

 

仕事を休んで寝込んで、喉が痛いのに過食は止まらずにいたら、どんどん悪化して。

急にものを食べることが嫌になって、食べるのをやめたら、

急速に症状が改善した。

 

冷えとりしてても食べ過ぎてたら意味がない。

だけでなく、やっぱり化学食品過多になるとこうなるのであろうな…

扁桃腺が腫れる前日のランチは韓国料理だったし。

韓国料理、中華料理はお店によっては大変な化学食品だもんな。

 

とりあえず全開せねば。

毒だしできたことは良しとしよう。

 

 

脳の休息

脳の休息について考える。

 

ぶ厚い業界基礎本を営業日3日かけて読み、

その間打ち合わせが4本。

初めて知り合った人が10数人。

覚えるべきシステムとして提示されたのが5つ。うち二本は英語システム。

システムの使い方説明はもちろんほぼなし。いじって覚えんさい、と。

明日は講習会。試験があって、合格すべし。とのミッション。

 

その程度、大したことないじゃん。

て、方もいるやもしれんですが、

10年近くずーっと同じ仕事をしてきて、

3ヶ月なーんもせんとぼーっとしていたわたしには、

重たい。

 

相変わらずマイペースに、早出早帰りを続けています。

 

早い時間に帰る人はあまりいないから、

周りに違和感ある人もいるんだろうなぁとも思う。

入ったばっかりで、こういう目立つことはしない方がいいよね、

とも思う。

 

だけれど、そうでないともたない気がする…

早く寝たいし。朝は早い方が気持ちいいし。

夜は家で過ごしたい。

 

それでもインプット情報が多過ぎて、

脳みそに休息が必要な気がする。

前頭葉が爆発しそうになるもん。

 

脳みそってどうやって休ませるんでしょう。

まずスマホを手放すべきか。

やり慣れたこと

改案。テレビ業界用語です。

昔、くさるほどやっていて。うんざりしたもんだけど、

嬉々として改案してるユメみた。

 

やっぱり、毎日知らない人に囲まれて、知らない言葉を話し、知らない作業を見ていると、

知っている人や、やり慣れた作業が懐かしくなるもんらしい。

 

新しい仕事で提示されるどれもこれも、

「あ、できそう」と思うのだけれど、

「できそう」と「できる」の間には大きな隔たりがある。

ましてや、考える前に身体が動くようになるのには、

どのくらい時間がかかるのかしら。

 

昨日は1人で飲みに行ってしまいました。

 

1人のみは、旅先ではよくやるので、

アジアでもヨーロッパでもよく行ったし、

国内もどこでも行ったことがあるような気がするけど、

東京でやるのはすご〜く久しぶり。

 

一時期、立ち飲みにハマった時期があって、

よくあちこちの立ち飲みに行ったけど、

ちゃんとしたお店で1人で東京で、ってのはもしかしたら初めてだったかも。

 

初めて1人のみした頃は、恥ずかしかったのですね。

どう思われてるのかなぁとか、みんな楽しそうだな〜とか、

この料理は1人で食べるには多い…とか、色々考えちゃってた。

 

でも昨日は、完全に脳みそ振り切ってたから、

そんなことは全然考えず。

むしろ、疲れたアタマは一杯のワインでぼや〜っと夢心地になるのを、ぼや〜っと楽しんでいられた。

そこに美味しいお料理で、ふわっと幸せになるのを、また1人楽しんでいられた。

 

1人は楽しいもんです、旅でも外食でも。

もちろん、大切な人と共有しながら、

胸の内を話すというのも楽しいことだけど、

それはそれ、これはこれ、というか。

どっちもありというか。

 

毎日、初めましての人の名前と顔を覚え、

システムを覚え、業界用語を覚え、立ち居振る舞いを覚え、おまけに会社周辺の地理も覚え、ランチの美味しいお店を覚え、

覚えること、理解することが山積みで、

だから、考えなくてもできることが懐かしくなる…

 

そしてまた知らないことだらけだから、

ニコニコと柔らかく優しそうにしていられるけれど、

そんな人間ではなかったこともふと思い出した。

スイッチ入ると、鬼になるんだったよな…

その日がまた来るのはいつになるだろうか。