安楽死と尊厳死

賛否両論あるし、正解はよく分からないけれど、

死を望む人に死をもたらすことに賛成ではないです。

 

今、毎朝、母のいる家へ通う生活をしていて、

毎日少しずつ死へと向かっていく母に会っている。

 

もう起き上がることもできないし、

話すこともほとんどできない。

目もあまり見えないし、耳もあまり聞こえない

 

起きている時間は、水分を取り、薬を飲み、

オムツや、着替えや、そんな時間だけ。

食事もできない。

 

いつも苦しそうで、辛そうで、

何をしてあげることもできなくて、

可哀想で。

 

目を覗き込んで、手を握って、さするしかできない。

会話も一言二言だけ。

痛みを訴えられても、何もしてあげられない。

 

大量の薬を処方されているんだけど、

飲み込みがどんどんできなくなっているので、

全部飲むことができない。

そして、ここで父と揉める。

 

父は、ホルモン剤や胃腸薬や、

医者が重要だと言った薬を飲ませたがる。

 

でも私は、痛み止めを飲ませてあげたい。

ホルモン剤を止めれば、母の元気がなくなることは分かってるけど、

いつだって患部の痛みを訴える母の痛みを取ってあげたい。

 

もっと言ってしまえば。

 

もう治ることのない母。

起き上がることや、意思表示をすることや、

家族との時間や、季節の移り変わりや、食事や、

そう言ったことを愉しむことはきっともうできない。

 

だとしたら、早く楽にしてあげたい。

痛み止めだけあげて、身体を清潔にして、水分補給して、

あとはゆっくり眠らせてあげたい。

 

ホルモン剤とか、その他山のような薬なんて、

もう飲まなくていいと思うし、

延命治療はもういらないから、緩和ケアだけ、

お医者さんにはお願いしたい。

 

でもそれに関して、父とは全然意見が合わない。

父は治療を考えている。母の回復を期待しているのかもしれない。

 

父と揉めることはもはやしんどくて、

できることは黙りこくるくらい。

何を言うのもやめて、父にお任せして私は自宅へ戻る。

 

祖母のときも思ったけれど、

死にゆく家族に寄り添うことはとても難しい。

可哀想に思っても、何の力にもなれない。

 

世の中は正解がないことに溢れている。