難しい話

さぁさ、そろそろ難しい話はおしまいにして、ごはんにしませんか?

全くお前はバカだからなぁ。

ええ、バカですよ。でもね、美味しいごはんは用意できるのよ。

 

どこからの引用でもなく、

わたしの頭の中にある昭和のおかみさん像です。

 

かつて若いころ、嫌悪感しかなかったこのイメージ。

女=バカと決めつける昭和の男にも(うちのおじいちゃんのことですが)

それに抗わず、受け入れる日本の女風にも、

とにかくイラついたもんでした。

寅さんも嫌いだったし、演歌も好きじゃなかったし、

若い子なんてそんなもんですかね。

 

がしかし。

 

そこから幾星霜。このワードを口にしたい…

そう思うようになってしまった。

「難しい話はもうおしまいにして」

 

最近知ったのですが、I.Qと年齢って反比例するんですってね。

二十代をピークに、加齢とともにI.Qは低下していく。

 

わたしのI.Qがいくつだったのかは知らないし、

現状のI.Qなんて知りたくもないけれど、

確かにかつてとは頭の回転が違うことを…

感じてしまうんだよなぁ。

加齢によるものなのか、はたまたアルコールのせいなのか。

 

でもそれとは逆に、歳をとってできることもある。

丁寧な生活を送ることや、四季を愉しむこと、

あまり怒らなくなったし、言葉が柔らかくなったと思う。

 

学生時代の友達と久しぶりに会ったときに、

パソコンなんて使い方分かんない〜スマホも娘に教わってる、

と言われて愕然としたことがあります。

 

でもそういう年代に突入しつつあるのかもしれない。

それを認めることが負けのような気がしていたけれど、

なんだかとにかく抗いたくないのだよ。

そんな思考回路なのだよ。

 

難しい話を平たく単純に分かりやすく考える。

それってすごく必要なことではないだろうか。

 

すごい人を目の当たりにして、

自分もそうなりたいと背伸びをすることは悪いことじゃない。

模倣は人を成長させるし、いくつになっても成長していたいと思うことは素敵だと思う。

 

でも成長の方向は、難しいことじゃなくてもいいんじゃなかろか。

もっと柔らかい方向に伸びることだって、成長なんじゃなかろか。

 

例えば、お前はバカだから。と言いたい人に好きに言わせておく。

他人にどう思われるかと、自分がどう思うかは別の話だ。

表立って自分の考えを押し付けることよりも、

とりあえず受け入れて、差し込める範囲へ入れていく、

そんな対応をしていってもいいんじゃなかろか。

 

東大くんとランチしながら、そんな気分になりました。