心は臓器として認識されていないけど、

誰もがその存在を感じながら生きていると思う。

動物には心がないとか魂がないとかって話もあるけど、

そんなこたぁない。彼らもしっかり持っている。

 

ちょっと変な話をします。

 

仕事を辞めることを決める少し前。

突然あるイメージがすっと浮かびました。

それは目に見えたような気さえする。

 

小さな黒い塊。焦げたように真っ黒で、硬くて触ってもカチカチで、デコボコで、綺麗なものでも眺めていたいものでもなかった。

でも同時に分かった。あれはわたしだ。

 

何度も何度も焼かれて、焦げて小さくなってしまった。

自分を守るために必死で閉じたその皮膚は分厚くて、

今はもう何も感じない。辛いことも嬉しいことも。

でも、まだ辛うじて生きている。

 

退職を決めて、引き継ぎの毎日になって、

会社に行きはしても仕事してるんだかしてないんだか、

毎日をヘラヘラ過ごすようになって。

 

ある日また、ふっとイメージが浮かびました。

 

黒い塊はすこしふくらんでいた。

ところどころ、かさぶたが剥けた跡みたいに赤肌になって、

痛くて触れない。まだ触っちゃいけない。

でも呼吸し始めている。生きようとしている。

 

まぁ。こんな話。

頭がおかしくなったのかって、誰もが思うよねぇ(笑)

わたしも誰かに聞かされたならそう思う。

なにそれ、大丈夫?って。

 

現代は科学的理論で構成されている。

それは唯一絶対の正論であるかのように重んじられ、誰もが信じる現代の宗教だ。

経済神話と並ぶ、現代の宗教。科学神話。

 

かつて地球は平らで、端っこの世界では海は大きな滝のように流れ落ちていると信じられていた。

ガリレオが丸いと言って、世間が嘲笑したというのは有名な話。

と言っても、これが実話かどうかは諸説あるみたいだけど、それはさておき。

 

ま、地球が丸かったように。イエスキリストが創造主ではなかったように。目に見える色が本来の色ではないように。

科学神話も、絶対でもなければ万能でもない。

 

そしてまたわたしが持つ心のイメージも、

これはわたしが持つイメージであって、時間が経てば、わたし自身、何じゃそりゃ…と思う日が来るのかもしれないけれど。

 

夏中、ダラダラと、ひたすら汗をかいていた。

顔からも、首からも、全身から流れ落ちた汗は、体だけでなく、心の毒出しになったような気がする。

 

最近、わたしはよく泣くようになりました。

本を読んで。ドラマを見て。上る朝日を見て。

涙がにじむ。

どこにあるのか分からない、でも確かに存在している心がきゅーんと傷んで、胸が苦しくなる。

 

以前はそうそう泣かなかった。

斜に構えて、なにを見てもふーんとしか思わなかった。

そして退屈な世の中を嘆いていた。つまんない、くだらないと。

 

黒い塊はもう見えなくなりました。

その代わり、臆病で怖がりで恥ずかしがり屋の小さな子が、ちょっぴりさみしそうに、ちょっぴり嬉しそうに、はにかんだ顔を隠して駆け回っているイメージが浮かびます。

でもそれは、我が家の猫たちを擬人化したものかもしれない(笑)

 

誰にでも心はある。

見えないけれど。触れないけれど。

感じることができる。

 

どこに行くにしろ、何をするにしろ、

それを忘れない限りは、幸せな自分でいられると思う。

 

あの子が笑っていられますように。