ホ・オポノポノ

宗教チックなことは嫌いなので、初めて知ったときは正直、うげっと思いました。

なにそれ、キモ。と。

 

でも以前から薄々感じてはいたけれど、科学ってのは万能ではなく、

冷えとりを始めてから、そうなるということはそれが必要なんだなぁと思うようになった。

 

つまり、運が悪いな〜と思うようなことが起きるとするじゃないですか。

電車を乗り過ごすとか、そんな些細なことでもいいんだけど。

そうしたときに、以前は、なんだよもーっとかってイライラしてたんだけど、

今は、そうなるべくしてなったんだよね、みたいな。

 

どうしてうまくいかないの?とか、あいつが嫌な奴だからとか、

不平・不満を感じることは多々あったけれど、

だんだんに、なるべくしてなったんだよね、と思えるようになった。

 

それでもやっぱりイライラしちゃうこととか、腹立つことはどうしてもあるんだけど、

そんなときにホ・オポノポノ。

 

どこまで意味があるのか分からないけれど、

4つの言葉がどれもpeacefulなこともあって、とりあえず冷静になれます。

繰り返してるうちに、だんだんイライラが抜けて来て、

気が付けば、なんの感情も起こらなくなっています。

 

そう、なるべくしてなったんだよね、と、心が落ち着いている。

 

なるべくしてなったと思うことはすごくラク。

 

なんとかしなきゃ!とか、ここを乗り切らねば!とか、

どうしよう、決断しなくちゃ!とか、そういうのがない。

 

どうしようかなぁ、とりあえずできることしてみて、

だめならまた考えよう。

と、思うようになった。

 

そして、ウニヒピリ、という本を読みました。

 

ウニヒピリとか、カルマとか、アウマクアとか、単語がまたオカルトチックで(笑)

ひいちゃうよなぁ。うん。

 

ネーミングはなんだっていいと思うのだけれど、

中学生の頃に実際に感じていたんだよね。

そのときは、本当の自分と、人前の自分、と言っていた。

 

本当の自分のままだと学校ではうまくやれないから、

人前の自分を作ってるうちに、本当の自分が遠くなったなぁと、

そんな風に思ったんですね、中二くらいの頃。

 

たぶん、表現は違っても、似たようなことは誰しも感じたことがあるのではないかと思うのだけれど、

ウニヒピリは、その本当の自分と会話することなのね、と理解。

 

確かに日常生活送ってると、人に気を使い過ぎて、自分が何したいのか分からなくなっちゃうから、

自分と会話する時間てのは大切だよねとしみじみ思う。

 

そしてまた、思うに任せないことが起きたときにイライラするよりも、

なるようにしかならないから、と達観したり、

4つの言葉を唱えてるうちに何も感じなくなったり、

そうする方がずっと気持ちが穏やかでいられる。

 

というわけで、マイペースに生活に取り入れてみています。

 

でも困ったことがひとつ。

 

クリーニングが習慣になってくると、だんだん仕事のあれこれも許せるようになってきて、

じゃ、辞める必要なかったんじゃないの?とか、

いまさら!?なことを思ったりして…

 

これもまた未練・執着ですかのう。