意識の格差
わたしが辞めることもあり、また、一年前に入った若い子が配置換えになることもあり、
ここのところ、新人面接が続いています。
さして大きくはない会社。
しかも、売上はあるのに評価の低いという不可思議な部署なので、人が辞めると募集からしなくちゃならないんですね。
で、木曜日に、3人面接をしました。
全員女性。26歳、27歳、30歳。
わたしとしては新卒に散々振り回されたという経緯もあり、できれば年齢高めがよかった。
ちょっとややこしい業者の方とやりとりもしなくちゃならないし。
でもわたしと一緒に面接に立ち会った男性2人が、30歳の女性に難色を示す。
しかも片方は、最初はその人推しだったのに、途中で手のひらを返した。
なんで?
だって結婚してますよ。
結婚してるとダメなの?
子どもとかできると面倒じゃないですか。
…
すげぇなぁ。それをさらりと口にして全く罪の意識のないその感覚。
しかも、そこに大きく頷いた、もう1人のオッさんも。
なんでしたっけ、少子化問題?女性が活躍する社会?
まったく。笑ってしまう。
政治家が何を言おうと、市井の人々の意識なんてこんなものだ。
そして政治家もきっと、耳障りのいい話をしているだけで、本気で考えている人なんて一握りなんだろうな。
ときどき思うもの。
もしわたしが男性だったら、仕事での評価も、働き方も、人間関係も、大きく変わっていたに違いない。
でもわたしは女で、だからこそ目立ち、優遇も冷遇もされたわけで、そこに別に後悔はない。
というか、性別なんて後悔したって仕方ないんだけど。
とにかく仕事とは、人々の生活を支えるためにあるためで、
仕事を支えるために人々が生活を犠牲にするようになってはいけないと思う。
堀江貴文さんやイケダハヤトさんの本を読んでいると、たまに出てくるフレーズに、
世の中のために何ができるか。ギブアンドテイクどころか、ギブアンドギブの精神で取り組むべきだ。
と、ある。
それを読んだとき、わたしは驚いた。
お二人が巷の噂では悪名高い(笑)ために、イメージとはかけ離れていたからということもあるけど、
そんな考え方、わたしの周りではついぞ聞いたことはなかったから。
友人も含めて、周囲の人間は生活のために働いています。
仕事に満足している風でない人もいるけれど、転職しないのは面倒&リスキー、と言ったところだろうか。
わたし自身も、ここ10年はそんな理由で動かずにいたし、その前は自分のスキルを上げる=自分の市場価値を上げることしか考えていなかった。
…はっ
そういえば前の会社の先輩は、そんなことを言っていた。
この仕事が何の役に経つんだろうと考えると、あれはやりたいけど、これはやりたくないんだよね。と。
は〜…あれもそういうことか…15年経って理解…。
他人も過去も変えられないし、問題はこれからです。
わたしはどう働くのか。一緒に働く人に、世の中に、何をしてあげられるのか。
雇用を増やすこと、税金を納めることも世の中のためだと言った人がいました。
でも何に使われているのか分からない、いくら必要なのか分からない、
おそらく青天井に欲しがり続ける国への税金をやり甲斐にすることは、
企業の利益のために、従業員が生活を犠牲にすることに似ている。
それよりはもっと分かりやすい、目に見える何かを作り出す方が、わたしには性に合っている気がします。