流れ

1年前に冷えとりを始めて、いろんな本を読むようになって、

初めて思うようになったのは、流れに逆らわないということだった。

 

流れに逆らわないって、無気力というか受け身なイメージだけど、

わしわしと自己主張することが本当にいいことなのか、

それは疑問だなぁと思うようになったというか。

 

どんなにしゃかりきになったところでできないことはある。

例えば人の気持ちは変えられない。

揺さぶることはできたとして、変わらないものだ。

だからドラマなんかで、主人公がお願いします!と頭を下げるシーンとか嫌いです。余談だけど。

 

まぁそんなわけで、今の環境を甘んじて受け入れようかなと、

そんな気持ちになったのは先週の金曜日。

 

ちょっとした打合せをきっかけに、溜まりに溜まったストレスが爆発して、

愚痴りまくったのです。

 

愚痴れるのは聞いてくれる人がいるからで、

聞いてもらえたのはありがたかったなぁ。

そしてまた、愚痴っているうちに、自分の問題点にも気付いた。

 

やっぱり、仲間がいないだの、仕事がわからないだの、上司が嫌いだの、

わたしの不平不満は幼いのです。

わたしは歳より若く見られるのが常だけど、

それって精神性の幼さもあるのかもしれないと思った。

 

そしてまた、今ある嫌なものを放り出すことは簡単なのだけれど、

その後、困る人たちのことを考えてしまった。

 

困ると言ったところで、大して困らない。

ただやっぱりがっかりする人は少ないけれどいると思う。

彼らはもちろん自分の利益のためではあるけれど、

多少なりとも私のことを思ってしてくれたなにがしかもあるわけで、

そういうことを放り出すってどうなのかな?と。

 

どうしても耐えられないことを耐える必要はないし、

心が壊れることだけは避けねばならぬのだけれど、

なぜ壊れそうなほどに心が辛いのか。

 

利己的な迷路に迷い込んで苦しんでいても、そこにゴールはないのよね。

 

だから、やっぱりできるだけ人を嫌わずにいようということと、

利己的な発想でない行動について、誰に何を言われようとも気にしない。

そうすれば、制約が減るから扉が少し開く。

 

扉が開けば流れが変わる。

なんだかそれを実感した今日。