のみこむ
どしてほんとのこと言っちゃいけないの
亡くなった祖母の口グセでした。
子どもの頃はおばーちゃん子だったから、
そうだよね、ほんとのことなんだから言っていいよね、
と、思っていた。
大人になって働くようになって、本当のことって人を傷つけるんだよ、と諭されたことがあり、
また、揉め事を避けたいという大人心(と、当時は思っていた)から、思うことがあってものみこむことが増えた。
が、しかし!
のみこんでも、消化できないのがわたしの幼いところ。
(消化できない)イラッ
↓
あれっておかしくない?
↓
(些細な違和感)
↓
あのひとのあそこがどうかと思う
↓
あたし、あのひとキラ〜イ
まで発展することもままある(汗)
それは避けたいよな。
そしてまた、本当のことと一口に言っても、
自分に影響のある本当のことと、関係のないことがある。
自分に関係のない本当のこと。
例えば、誰にでもある欠点とか。
貧乏ゆすりがクセの人がいたとして、一緒に食事していて、テーブルが揺れるようなら、揺れてるね。と言えばいい。
でも、あなたっていつも貧乏ゆすりしてるよね、とか、
貧乏ゆすりは良くないクセだから、やめた方がいいよ。とか、
そういうのは自分には関係のない本当のことだ。
自分に関係のない本当のことを口にしないのは、
揉めたくないという思いもあるけれど、
そこに踏み込むことはおこがましいとも思うから。
もっと言えば、それを指摘するどんな権利を持つの?と。
だって、誰にだって欠点を持つ自由はある。
わたしだって欠点がある。
命令されるのも拘束されるのも沈黙を強いられるのも嫌い。
生活はだらしないし、同じことを繰り返すことが苦手だ。
それを指摘されてもうんざりする。
分かってるし、直すべきかもしれないけど、それって自己責任てやつでしょ?
なんか迷惑かけましたっけ〜…ほっといて!的な感じ。
というわけで、踏み込む範疇には気をつけるべきだけれど、
自分に影響が出るときは、感情を荒立てずにはっきり、意見を述べるべきよねと、最近思う。
のみこむと悶々がドンドン大きくなって、止められなくなってしまう。
それともう1つ。
欠点は誰しもが持つもので、当たり前なんだけど、
自分の欠点を自分で認めるというのは必要なことかなぁと思う。
でもこれって余計なことだよなぁ。
わたしも以前にある欠点を指摘されて、それは分かってるけどできないから。と思っていたら、
人のせいにしてるから、できないんだと言われたときにはびっくりした。
人のせいにした覚えはなかった。
ただ、できないし、できるようになれる気もしないし、それはもう諦めてるから周りにも諦めてほしいと思った。
それだけ。
その時も、そう言いたかったのをのみこんだ。
一方通行な会話は不公平だなと思った。
でも世の中ってのは不公平にできている。
うん、よく知ってる。
ただのみこみ過ぎは体によくない。