時間

時間を節約すればするほど、時間が足りなくなる。

 

ミヒャエル・エンデのモモにでも出てきそうな話だけれど、

マーク・ボイルの無銭経済宣言に出てきた言葉です。

 

わたしの大好きなブロガーさんに、

勤めず、畑を作り、鶏を飼い、ミツバチを飼い、

手仕事で生計を立てている方がいて、

そちらで見かけたこの本を読んでみました。

 

今、わたしには時間が潤沢にある。

 

朝は毎朝6時頃、起きます。

猫にごはんをあげて、お風呂へ。

塩浴して、半身浴を1時間弱。

 

お風呂から出ると、部屋をぐるりと掃除して水分を取り、ひとまず休憩。

 

ここからその日やりたいことをやります。

整体に行くときもあるし、図書館に行ったり。

本を読んだり、録画の整理したり、ブログを書いたり。

断捨離したり、手仕事したり、洗濯したり。

猫と遊んだり、昼寝したりもする。

 

本当はヨガをやりたい、というかやらねば!と思うんだけど、

腰が本調子でないのを口実に最近できてないなぁ。

ヨガをしていた方が疲れにくいです。

 

勤めていると、お風呂〜掃除までの流れは一緒で、

続いて支度して、バタバタと出かけて行っていた。

あ、お弁当も作っていた。

 

夕方仕事から戻ると、まず猫にごはん。

お風呂はいって、つまみを用意して、飲んで寝る。

そんな毎日でした。

 

仕事でも生活でも効率重視で無駄は排除。

それが一番なんだと思っていた。

 

そうやって忙しぶっていたけれど、

勤めていたとしても、残業三昧の方や、働くママに比べたら、自分のために使う時間はあったような気がします。

 

でも、仕事についても効率重視だったから無駄は排除!

無駄話もしなかったし、無駄な動きもしないようにしていたし、

意味なく残業とかは考えられなかった。

その代わりヒマな時間もなかったけれど。

 

思えば心にゆとりのない生活でした。

今になってやっと気付く。

 

時間にゆとりを持たせるには、まず心にゆとりを持たなくちゃならない。

心のゆとりは、満足感から得られるもの。

どれだけたくさん持っているか、ではなく、

持っているものをどれだけ大切にできているか。

 

長野へ行ったとき、たくさんの方にご案内いただいたけれど、

仕事として淡々としている方と、

時間を気にせず、楽しそうにしている方がいました。

 

楽しそうな方は、自分の仕事が好きで、

誰かのために何かをすることが喜びなんだと思う。

 

無銭経済宣言にも出てきたけれど、

貨幣経済は、全てのものに共通の値段を付けることによって、

誰かのために、が消えてしまった世界なんだ。

 

誰かのためにできること。

 

被災地でのボランティア?

それもまた何だか短絡的というか…

 

台風が来ていますね。

東京はいつも大騒ぎするけれど、いつも被害は小さい。

みなさまのご自宅はいかがですか。

どうぞお気を付けて…また大きな被害が出ることのありませんように。