モモ
ミヒャエル・エンデ作 モモ
子どもの頃に読んだきりの物語を久しぶりに読みました。
灰色の時間泥棒たちが走り回る街。
人びとは灰色の男たちに勧められるがままに時間を節約し、
余裕をなくして不機嫌になり、冷たくなっていく。
そんな人びとに、男たちはこう囁く。
どんどん時間を節約して、どんどん金を稼げ!
稼げば好きなものが買える。幸せが手に入る!
効率を考えた街は、暮らしやすいかどうかは関係のない、全て同じ形の家が並び、
仕事で疲れきった大人たちは、子どもと遊ぶ時間はなく、
子どもたちにひたすらおもちゃを買い与える。
子どもたちは大人に監督されるままに遊び、ゆっくりと忘れて行く。
楽しむこと、夢中になること、夢見ること。
モモが描かれたのは1970年ごろ。
そのころのドイツがどうだったのか全然知らないけれど、
最後にミヒャエルエンデは、これは過去の話であり未来の話でもある。と結んでいる。
子どもの頃は、とにかくモモがカッコよくて、亀のカシオペアがカッコよくて、そんな記憶しかなかったけれど、
今は、ジジだったりベッポだったり、子供心を忘れない、そして役に立ってない(笑)大人がすてきだなぁと、そんな風に思ったりする。
灰色の男たちに騙される大人たちは間抜けだけれど、
騙されずに、キラキラした心を持ったまま、貧乏に耐えて生きて行くのはどれだけ大変であろうかと、そんな風に思ってしまったりもしてしまう。
いっそ騙された方がラクなんではあるまいかと…
分かっていながら、そう思ったその心の隙間に付け込まれたのではあるまいかと。
騙された方が楽だとか、思考停止している方が楽だとか、
そんなこと考えたこともなかったな。
わたしを可愛がってくれた伯父が、最後にくれた色紙にはこうあった。
命いっぱい自分の花を
咲かねばなるまい。